小郷山・高井山 |
単独 2010.04.18 ☀/☁ |
八郎橋(7:30/34)→十方林道入口(7:39)→判城橋(7:54)→県境尾根(8:11)→御境(8:22)→小郷山(9:12)→1059m峰(9:36)→掘割(9:59)→1132m峰(10:53)→1111m峰(12:19)→高井山(12:39/13:01)→1111m峰(13:17)→1048m峰→最低鞍部(13:47)→大杉谷(13:49)→林道青山線入口(14:07)→八郎橋(15:04) |
八郎橋(7:35) |
判城橋(7:54) |
今回の分水嶺歩きは、御境から1048m峰先の最低鞍部まで。中津谷から国道488号線に入ると、渓流釣りの人たちの車が数台路肩に止まっていた。幸い対向車と離合することもなく、快適に出発点の八郎橋までやって来た。晴れ、気温0℃。橋を渡った所に車を止め、主川左岸に沿った国道に戻って、御境に向かう。八郎橋から300mばかり行くと、林道大向長者原線が右に分かれ、左下に杉林を透かして主川と八郎川が合わさっているのが見える。大向長者原線分岐の150m先で、十方林道が右に分かれている。入口には鎖が張られ、車両進入禁止になっていた。さらに1.2㎞ばかり行くと、判城橋が架かって右岸に林道が続いている。川は橋の上手で二俣となり、右谷は御境へ突き上げ、左谷は万丈川と名を変える。万丈川は、先でヨソウ谷・ニソウ谷となって奥深くまで続き、源流域に有名な四艘船岩、二艘船岩がある。判城橋の手前で、マウンテンバイク(MTB)に乗った単独行者と行き違った。 | |
五里山稜線への取付(8:09) |
御境(8:22) |
国道は判城橋から15分ばかり行った所で、Uターンしたあと西に回り込んで御境に上っている。そのU字カーブの突端から立派な高圧線管理道が北に分かれている。後日、五里山縦走の起点にするため、ここから県境尾根に取り付いて、御境に降りた。「〈五里ナカエ〉が県境を越す峠の名は〈オサカエ〉と、故甲佐直一氏から教えてもらった。保矢ヶ原では現在でも〈オサカエ〉と呼んでいる人が多い。吉和側では、この峠が村里から遠く離れているため、峠の名を知っている人には会わなかった。西中国山地(桑原良敏)」 | |
県境尾根への取付(8:23) |
万城山 御境西の県境尾根より(8:31) |
御境の北側から小郷山方面の県境尾根に向かって、立派な登山道が上がっている。元々が高圧線管理道のようで、1114m峰の先からは高圧線に沿って、西北西の支尾根を赤谷に下っている。御境から登山道に取り付いて上っていくと、高圧線の鉄塔が建っており、そこから匹見町側の山や谷を一望することができる。中でも、御境峠の向こうに悠然と横たわる万城山の姿は秀逸である。 | |
小郷山山頂(9:13) |
1059m峰山頂(9:36) |
1114m峰の先から登山道に別れを告げ、ヤブの尾根に上る。御境から50分で小郷山。以前は刈り払われて三角櫓も建っていたが、今は笹の中に境界柱があるだけ。コゴウ谷の支流、クワノキ谷の先にある山ということで、桑木谷山とも呼ばれている。小郷山から南に転じて下り、鞍部を上り返した所が1059m峰。広島山稜会の分水嶺の札が掛っていた。このあたりの県境尾根はブナやスギの疎林で、低い笹の林床に踏跡も残っており、心地の良い稜線歩きが楽しめる。 | |
掘割(9:59) |
ツリハシ谷源頭部の鞍部(10:42) |
1059m峰から南に延びる稜線をたどること20分、掘割のある鞍部に降り立つ。手前はニソウ谷の源流域で、乗り越した所がシコモ谷本谷の源頭。径は林道三坂八郎線、釣橋線、万丈線に繋がっている。掘割を上り返したあたりの山稜を、三坂谷の水源にある山々ということで、三坂山と呼ぶ。特定のピークはない。県境尾根は左(西)に回り込んでツリハシ谷の源頭鞍部に下っている。 | |
老木更新?(10:45) |
切株更新(10:47) |
三坂山から1132m峰にかけての県境尾根には、巨樹・老樹が目に付く。いつものことながら、樹幹に手を添えて、素敵な山行に感謝する。かつてこのあたりには、アシウ杉の巨樹が林立していたらしく、大きなスギの切株にブナが根付いた切株更新があちこちで見られる。変わったところでは、わずかに残った樹皮から、立ち枯れしていく幹を支えにして再生に挑む、異形のブナがあった。 | |
1132m峰山頂(10:53) |
1111m峰山頂(12:19) |
1132m峰に上がると、JAC広島の日本分水嶺の札が掛っていた。県境尾根は南西に続いて、三坂八郎隧道の真上を横切っているが、西にもテープがあり、辿れば隧道の島根県側出口に降りるようだ。1132m峰から20分ばかりの所で、南へ延びる主稜を辿って1109m峰に上ってしまう。堂々巡りの末、南西に続く県境尾根を見つけて、やっと1111m峰へ。この後、現在地を誤認して南西の主稜を辿った。 | |
高井山山頂(13:01) |
林道青山線入口(14:07) |
結果良しとはこのこと。1111m峰で東に転じなかったばかりに、かねてから願っていた高井山に立つことができた。山頂は笹に覆われているが、眺めは良く、これから向かう県境尾根の様子が手に取るように分かる。三角点の傍に腰を下ろし、遅い昼食にした。1111m峰に戻り、県境尾根を下って、1048m峰の先の最低鞍部から大杉谷に降りた。林道青山線を下って行くと、入口にMTBが置かれていた。途中で行き違った人が、御境からここまで繋いだようだ。三坂八郎線を下ること1時間、出発点に帰り着いた。 | |
広高山、額々山 県境尾根最低鞍部西の稜線より(13:47) |
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五里ナカエ 五里という呼称は、藩政時代に島根県匹見町野入と広島県吉和村の大向を結んでいた西中国山地の主稜を横断する石州街道の長さを表している。この街道は、匹見町側、吉和村側ともに昔から〈五里ナカエ〉と呼ばれており、この呼称は現在も使われている。村岡浅夫著『広島県方言辞典』によると、ナカア・ナカエ・ナカラ〈…の間〉の意とある。〈五里ナカエ〉は〈五里の間〉つまり、石州街道自体の意である。「西中国山地(桑原良敏)」より |
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軌跡図 |
所要時間:7時間32分、歩行距離:18.6㎞ |